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日本ボディビル連盟 故玉利斎会長偲ぶ会
2017年11月29日 | スタッフ・教員BLOG
「日本ボディビル連盟 故玉利斎会長を偲ぶ会」
に近畿医療専門学校から小林英健理事長と北出が出席しました。
故・玉利会長は日本のスポーツ界を永年支えて来られた功労者で天皇陛下より国家勲章も叙勲されています。
玉利会長が早稲田大学の学生であった時に、大学内にバーベル倶楽部(ボディビル部)を創部し、まだ日本に本格的なトレーニングが普及される前に活動を開始されました。
あらゆるスポーツの原点である基礎体力、体作りはどのスポーツでも必要不可欠なので、競技を問わず多くのアスリートや美しい肉体、ビルドアップされた肉体を手に入れたいと願う若者達が集いました。
玉利会長は、日本で本格的にプロレスを広めた力道山ともその後交流を深め、極真空手の創設者でもある大山倍達総裁とも交流を重ねられました。
日本文学史に名を馳せる三島由紀夫にボディビルを指導した事で玉利会長の名は、たちまち全国区に踊り出ました。
その後、東日本と西日本とで覇権争いをしていたトレーニング界を統一し、日本ボディビル連盟を設立。国際連盟にも加盟をし、日本オリンピック委員会にも加盟する団体にまで押し上げました。
また玉利会長は、ボディビルだけではなく、多くの競技団体の主要ポストに就き、日本のスポーツ振興に多大なる貢献をされました。国際ボディビル連盟でも永年理事を務められ、日本から、いやアジアから初めて世界チャンピオンが輩出されました。これも玉利会長が選手育成に取り掛かり、予算を取り付け走り回られた結果、悲願が達成されました。
OCAアジアオリンピック評議会が主催するアジア大会・アジアインドアゲームズ・アジアビーチゲームズの競技種目にボディビルがなり、日本選手団を送り込み、見事に複数メダル獲得に成功したのも玉利会長の功績の一つだと言えます。
玉利会長は、(公財)日本オリンピック委員会評議委員、東京オリンピック招致委員、2020年東京オリンピック組織委員会評議委員等も歴任され、日本ワールドゲームズ協会は、立ち上げから手腕を発揮され、副会長として永年貢献し続けられました。
ワールドゲームズとは、オリンピック競技ではない競技が、夏季オリンピックの翌年開催される4年に1度の国際総合競技大会で、ボディビルも正式競技として採用されています。
秋田で開催されたアジア初のワールドゲームズ招致にも尽力され、非オリンピック競技団体の悲願を達成されました。
また、日本健康スポーツ連盟の会長も永年務められ、国民の生涯スポーツの発展にも、力を注がれました。
玉利会長は、厚生労働省とも掛け合い、健康運動指導士等の資格を国が出せる様に働き掛け、健康とスポーツの地位向上にも努力されました。
2016年、大阪でミスターニッポン(全日本ボディビル選手権)が、開催された時に、小林理事長は御招待を受け、メルパルクホールに行き、競技を観戦、そして玉利会長と交流をされました。
その年、全日本で優勝した鈴木選手が日本のボディビル界の悲願である世界チャンピオンに輝きました。
この度の急な訃報に驚き、悲しみ、小林理事長は北出を連れ、この日、東京に向かい、偲ぶ会に列席されました。
玉利会長らしく、多くのスポーツ関係者が集い、故人の生前の遺徳を偲びました。
会の冒頭では、小林理事長の紹介があり、理事長は参加者を代表して一礼されました。
その後、献花。来賓として出席された方々と挨拶を交わし、玉利会長のこれまでの功績を称え、偲びつつ交流されました。
小林理事長は、これからも近畿医療専門学校として協力出来る事を約束し、大阪への帰路に着きました。
入試広報課 北出 ― category ―